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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第12主日

《A年》
 115 主は豊かなあがないに満ち
【解説】
 詩編69は、詩編22と同じく主のしもべの嘆きの歌で、キリストの受難について、次のような箇所で引用されていま
す。
 10節=神殿から証人を追い出したとき⇒ヨハネ2:17
 22節=十字架上で苦いものとぶどう酒を与えられたとき⇒マタイ27:34
 22節=さらに、酢を飲まされたとき⇒マタイ27・48他
 26節=ペトロがユダについて言及したとき⇒使徒1:20
 なお、この詩編は元来、2-7と14-16が一つの詩、8-13と17-35が別の一遍、最後の2節=36と37節が
典礼における補遺と考える学者もいます。なお、最後の2節は捕囚後の復興を求める、国民の嘆願と思われます。こ
の最後の2節を除いて、全体は統一の取れた感動的な詩編とみる学者がほとんどです。いずれにしても、苦しむ主
のしもべ=それは、キリストばかりではなく、キリストに従うゆえに迫害されるものの、魂の深みからの叫びと言えそう
です。
 詩編唱は、第1・第3小節の終止音の四分音符(主に「、」)が、その前の全音符から、2度高くなっており、第2・第
4小節では(主に「。」)2度下降しています。さらに、各小節の冒頭の音が順次下降しており(1小節目=A(ラ)、2小
節目=G(ソ)、3小節目=F(ファ)、4小節目=E(ミ))、文章ごとのバランスをとりながら、ことばを生かしています。
 この詩編唱は、当初、『典礼聖歌』(分冊第二集=31ページ)で、旧約朗読後の間唱として歌われた「主よ よこし
まな人から」(詩編140)に用いられていました。現在、『典礼聖歌』(合本)で歌われる詩編唱の第3・第4小節が
「主よ よこしまな人から」の答唱句として、第1・第2小節が、同じく詩編唱として歌われていました。
 「主よ よこしまな人から」が作曲されたのは、典礼の刷新の途上だったため、新しい詩編や朗読配分、などが確立
したときに、この曲は使われなくなり『典礼聖歌』(合本)には入れられませんでしたが、新しい答唱詩編である「主は
豊かなあがないに満ち」の詩編唱に受け継がれました。
【祈りの注意】
 解説にも書きましたが、答唱句は、詩編唱と同じ歌い方で歌われます。全音符の部分は、すべて八分音符の連続
で歌います。「豊かな」と「あがない」の間があいているのは、読みやすくするためです。また、「あがないに」と「満
ち」、「いつくしみ」と「深い」の間があいているのは、楽譜の長さ(答唱句と詩編唱の)をそろえたための、技術的な制
約によるもので、こらら赤字の後で、息継ぎをしたり、間をあけたり、赤字のところを延ばしたりしてはいけません。下
の太字のところは、自由リズムのテージス(1拍目)になります(*は八分休符)。

 主はゆたかなあがないに満ちー*|いつくしみふかいー*

 答唱句は、その詩編のことばに対して「主はゆたかなあがないに満ち、いつくしみ深い」と答えます。詩編と同じく、
八分音符の連続ですが、「主・は・ゆ・た・か・な・あ・が・な・い・に・満・ちー」のように包丁がまな板を鳴らすような歌
い方にならないようにしましょう。
 冒頭は、きびきびと歌い始め、1小節目の終わりで、rit. し、ほぼ、そのテンポのまま「いつくしみ」に入り、最後
は、さらにていねいに rit. して終わります。全体は、P で、最後の答唱句は PP にしますが、それは、この答唱句
の信仰告白のことばを、こころの底から、深く力強い、確固としたものとするためです。決して、気の抜けたような歌い
方にならないようにしてください。
 預言者は皆、少なからず、迫害を受けますが、とりわけエレミヤに対する迫害は、過酷とも言うべきものだったよう
です。それでも、エレミヤは、主なる神に対する希望を失わず、どのような苦悩の中にあっても、信頼を失うことはあり
ませんでした。答唱詩編は、このような主に対する信頼と希望を確信する祈りです。わたしたちは、エレミヤを初めと
する預言者たちや、古代や日本の殉教者たちのような迫害は受けないでしょう。しかし、キリスト者ということと、世間
の価値とが矛盾しないなら、「地の塩、世の光」となっていないことになります。
 もちろん、好んで迫害されることもありませんが、キリスト者ということで世間で不都合が起きても、この詩編や、エ
レミヤのような、預言者の祈りが、わたしたちを支えてくれることでしょう。同胞から迫害され、いのちまで落とした、預
言者たちの祈りを思い起こし、今日の詩編を深く心に刻みましょう。
【オルガン】
 上記にも書きましたが、この答唱句は、基本的に P  で歌いますから、ストップもフルート系の8’だけでよいでしょ
う。ただし、会衆の人数によっては、弱い4’を加えたり、Swell から8’をコッペル(カプラー)してつなげる方法もあり
ます。ペダルも16’は一番弱い音のものを使います。会衆の人数によっては、答唱句も Swell で弾いたほうがよい
かもしれません。いずれにしても、答唱句の緊張感が生きるようなストップを心がけてください。
 さて、前奏ですが、このような、いわゆる「プサルモディア系」の答唱句の場合、ソプラノを刻んで弾くことはしませ
ん。すべての声部を最後まで、音を延ばしたままで弾きますが、その際、実際に歌う長さを延ばすようにします。ただ
し、「満ちー」の後はソプラノだけ八分休符を入れます。つまり、オルガン奉仕者は、声には出さずとも、答唱句の歌
詞を、心の中で歌いながら、もちろん、ふさわしい rit. もしつつ、前奏をするわけです。
 それで、本当にきちんと、会衆が歌うのだろうか?と思われるかもしれません。ですが、普段、「プサルモディア系」
以外の答唱句で、きちんと歌うように前奏をとるように心がけていると、「プサルモディア系」の答唱詩編の場合、この
ように前奏をとると、きちんと歌えるようになってくるものです。ちなみに、これは、四旬節の詠唱にも言えることです。
 オルガン奉仕者が、なぜ、きちんと歌って祈らなければならないのか、ということが、分かると思います。

《B年》
40 神のいつくしみを
【解説】
 詩編107は、詩編集第五巻の冒頭に当たります。この詩編は、大きく二つに分けられます。さらに、導入(1-3
節)に続く前半(4-32節)は細かく4つに分けることができます。

荒れ野をさまよう人の救い(4-9節)
とらわれ人の解放(10-16節)
病人のいやし(17-22節)
難船からの帰港(23-32節)

で、それぞれ、神への助け(6,13,19,28節)とそれに対する感謝の勧告(8,15,21,31節)が繰り返されてい
るので、この詩編は「感謝の連願」とも呼ばれています。この詩編は、神殿祭儀の時、祭司と会衆の間で歌い交わさ
れたと思われ、現在の答唱詩編の原型とも言えます。この答唱句では、歌われないのですが、後半の33-43節は
賛歌の形式で、バビロン捕囚と捕囚からの帰還を述べています。
 この答唱句はまったく拍子が指定されていません。と言うのも、順番に、四分の三、四、五、三、四。と変わってゆく
からです。ですが、歌うと、まったくそれを感じさせず、歌詞の意味どおりに、自然に歌うことができるから不思議で
す。冒頭は、75「神よあなたのことばを」などと同じく、オルガンの伴奏が八分音符一拍早く始まります。「とこしえに
歌い」と「代々につげよう」では、Fis(ファ♯)が用いられ、伴奏でも、ことばを意識しています。
 答唱句の終止は、五の和音で、上のFis(ファ♯)が用いられているところは、五の五の和音(ドッペルドミナント)と
考えることもできますが、旋律は、G(ソ)を中心に、上下に動いているので、教会旋法の第八旋法に近いようにも考
えることができます。また、最初にもあげたように、拍子が指定されず、グレゴリオ聖歌の自由リズムが生かされてい
ます。「主のまことを」で、旋律が最高音C(ド)となり、和音も、ソプラノとバスが2オクターヴ+3度に広がります。
 詩編唱は、鍵となるG(ソ)を中心に動きます。
 答唱句の音域や、詩編唱の和音からは、あくまでもC-Dur(ハ長調)で、終止は半終止と考えるほうが妥当です
が、それほど単純ではなく、作曲者自身の、グレゴリオ聖歌から取り入れた独自の手法といえるかもしれません。
【祈りの注意】
 冒頭、オルガンの伴奏が八分音符一拍早く始まりますが、これを良く聴き、「かみ」のアルシスを生かしましょう。前
半は一息で歌いたいところですが、息が続かない場合は、「いつくしみを」の付点四分音符に、一瞬で息を吸ってくだ
さい。最初は一息でいかないかもしれませんが、祈りの流れに、毎回、こころを込めると、徐々にできるようになるの
ではないでしょうか。最初から「無理」とあきらめずにチャレンジしてください。
 この「を」を、付点四分音符で延ばす間、少し cresc. すると、祈りが、次の「とこしえに」へ向かって、よく流れてゆ
きます。ただし、やり過ぎないようにして、最初の音の強さの中で、cresc. しましょう。
 「歌い」の後で息をしますが、祈りは続いていますから、間延びして流れを止めないようにしましょう。この後、よく耳
にするのが、「まことを」の四分音符を、必要以上に、すなわち二分音符ぶん位、延ばしてしまうものです。「主のまこ
とを代々に告げよう」は一つの文章、一息の祈りですから、「を」は四分音符だけで次へ続けます。
 このようになるのは、おそらく、答唱句の最後で rit. することが背景にあるかもしれませんが、これは明らかにやり
すぎです。rit. しても、四分音符は四分音符として歌います。
 今日の、答唱詩編と第一朗読は、福音朗読で読まれる、ガリラヤ湖での船上の出来事の予型として朗唱・朗読さ
れます。今日のような朗読の関連は、比較的わかりやすいものなので、詩編を先唱されるかたも、よく、こころにおさ
めることができると思います。詩編唱の7節の1小節目と2小節目、8節の1小節目と2小節目のことばは、特に福音
朗読を導くものです。このような「神のいつくしみと不思議な出来事」に感謝して、わたしたちは、感謝の祭儀をささげ
ると言えるでしょう。
【オルガン】
 答唱句が、四声とも、会衆の歌唱より八分音符一拍分早く始まりますが、前奏を、そのまま弾くと、かえって、会衆
が戸惑うかもしれません。前奏のときだけは、ソプラノ(旋律)だけ、会衆が歌うように、冒頭、八分休符を入れて弾く
ほうが良いでしょう。もう一つ、前奏で気をつけたいことは、祈りの注意にも書いたように、「まことを」の四分音符を、
必要以上に延ばさないよう、きちんと、四分音符で、「代々に告げよう」に続けることです。そのためには、まず、オル
ガン奏者が、この答唱句を、良いテンポで、交替する拍子を、自分の体で、祈りとして覚えることが必要です。
 橋渡しをする朗読の内容や、詩編本文も考えると、答唱詩編の基本である、フルート系の明るめのストップが良い
でしょうか。会衆の人数によっては、他の鍵盤のストップをつなげたりすることも考えられます。最後の答唱句は、や
はり人数によってですが、2’を加えたり、あまり強くない、プリンチパル系のストップを入れたりすると、会衆の祈りが
活き活きとしてくるのではないでしょうか。

《C年》
 10 荒れ地のかわき果てた土のように
【解説】
 この詩編63は、150ある詩編の中で、最も親しく神に呼びかけます。一連の答唱詩編の答唱句は、この詩編の2
節から取られています。表題(1節)には、「ダヴィデの詩。ユダの荒れ野で」とあり、ダビデがサムエルから逃れてユ
ダの荒れ野にいたとき(1サムエル19章~)に歌ったとの伝承がありますが、実際には、もっと後代の作でしょう。
 詩編唱の1節の4小節目にある「求める」の語源は「あけぼの」で、古代語の訳では、「朝早くからあなたはわたしと
ともにいる」と訳されたことから、この詩編は、『教会の祈り』の「朝の祈り」(第一主日および祝祭日などの第一唱和)
で用いられています。神から離れた生活を「水のない荒れ果てた土地」と歌う作者は、まさしくそのように神を慕い、
聖所=典礼(礼拝)の場で神と出会い、敵から救われます。6節=詩編唱の3節の3小節目、「もてなしを受けたとき
のように」は、直訳では「髄と脂肪で」だそうで、動物の髄と脂肪は、当時、最もおいしい部分と考えられていたそうで
す。今流に言えば、グルメでしょうか。
 答唱句では、旋律、伴奏ともに音階の順次進行や半音階を多く用いています。これによって、荒涼とした荒れ地の
様子が表されています。とりわけ「土のように」では、バスが最低音になり、荒れ地の悲惨さを強調します。後半は、
「かみよ」で、旋律が四度跳躍して、神を慕う信頼のこころ、神へのあこがれを強めます。なお、『混声合唱』版の修正
では、「あなたを」のバスの付点四分音符は、C(『混声合唱』版の実音ではD)となります。
 詩編唱は、ドミナント(支配音=属音)のGを中心にして唱えられます。どの節でも一番強調されることが多い、3小
節目では、最高音Cが用いられています。4小節目の最後の和音は、F(ファ)-C(ド)-G(ソ)という「雅楽的なひび
き」が用いられていますが、バスが、答唱句の冒頭のE(ミ)への導音となり、その他は、同じ音で答唱句へとつなが
ります。
【祈りの注意】
 答唱句、特に前半は、荒涼とした荒れ地の様子を順次進行や、特に半音階で表しています。レガート=滑らかに歌
いましょう。「あれちのかわきはてたつちのように」で、太字の母音「A」は喉音のように、赤字の子音はかなり強く発
音します。また「あれち」は、sf (スフォルツァンド)一瞬強くし、すぐに、弱くします。このようにすることで、荒涼とし
た荒れ地の陰惨さを、祈りに込めることが、また、この答唱句の祈りを、よりよく表現できるのではないでしょうか。前
半は、「~のように」と答唱句全体では従属文ですから、「れ」以外p で歌います。和音も従属文であり、主文へと続
くように、5度の和音となっています。
 後半は、この答唱句の主題です。「かみよ」の四度の跳躍で、「か」の部分は、その前の和音の続きで五の9の根
音省略形、「みよ」はどちらも主和音で力強さが込められ、p から、一気にcresc. して、神への憧れを強めます。そ
の後は、f ないしmf のまま終わりますが、強いながらも、神の恵み、救いで「豊かに満たされた」こころで、穏やか
に終わりたいところです。
 関連する朗読は、ゼカリアの預言も、ルカの福音も、キリストの受難予告と復活の預言です。生前のイエスに従って
いた弟子たちにとって、イエスご自身の受難予告は、全く理解できない以上に、あってはならないことでした。主のエ
ルサレムへの道は、イスラエルの国の復興のためであったと思っていました。しかし、イエスにとって、エルサレムへ
の道は、栄光への道であることには変わりありませんでしたが、それは、十字架をとおしての栄光だったのです。こ
れは、その後の弟子たちのみならず、キリスト者すべてが、何らかの形で通らなければならない、追わなければなら
ない十字架の道ですが、その十字架は、キリストがともに追ってくださるくびきでもあることを忘れないようにしたいも
のです。詩編唱も、神とキリストがともにいてくださるという、信頼のもとに歌われます。詩編を歌う方も、味わう方々
も、この信頼をゆるぎないものとするために、詩編のことばを、寄り深く味わいたいものです。
【オルガン】
 答唱句のことばからしても、フルート系のストップが妥当でしょう。基本的には8’だけ、会衆が多ければ、答唱句で
は、Swell の8’もコッペル(カプラー)でつなげて弾くか、深みのある、4’を加えても良いでしょう。パイプオルガンで
は、「あれち」の sf を表現することは難しいですが(ペダルを使っている場合も同様です)、ペダルがないハルモニ
ウム(リード・オルガン、足踏みオルガン)では、表現することができます。
 手鍵盤だけで弾く場合、答唱句は、すばやい持ち替えや、手を滑らすなどの、熟練を要します。じっくりと、考えて、
時間をかけて練習しましょう。このような練習は、会衆の祈りが、この答唱句の信仰告白にふさわしくなるように、す
るためです。会衆が良く祈るためには、オルガンがよく祈らなければなりません。オルガンがよく祈るには、オルガン
奏者が深く祈っていなければならないことを忘れないようにしましょう。
 オルガン奉仕には、多くの試練、課題、困難があるかもしれません。準備の間、この詩編を何度も、歌いながら味
わうことで、神への信頼のうちに、この、奉仕の務めを与えていただいたことを想い起こし、神と共同体への奉仕のた
めに、勇気と知恵を与えていただくことができるのではないかと思います。






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